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大手町プレイスの歴史を振り返る

東京を代表するオフィス街である大手町エリアは現在も再開発が進んでいます。大手町プレイスも2018年8月に竣工し、今年で3年目を迎えます。そこで今回は、大手町プレイスの歴史を振り返ります。


大手町プレイスがある大手町2丁目エリアは、江戸時代には「庄内藩酒井家上屋敷」や「福井藩松平家上屋敷」があった場所。明治期に入り、1876(明治9)年には、紙幣の印刷工場「大蔵省紙幣寮(後に大蔵省印刷局に改称)」(現「国立印刷局」)が設置されます。この頃の庁舎は、「朝陽閣」と呼ばれる赤煉瓦造り2階建ての近代的な西洋建築で、イギリス出身の建築技師トーマス・ジェームス・ウォートルスが設計した美しい建物だったと言います。
1877 (明治10)年に、国産第1号紙幣(国立銀行紙幣(新券)1円)の製造を開始。日本の近代印刷・製紙のパイオニアとして、第一歩を踏み出したのも大手町の印刷局でした。


「大蔵省印刷局」は事業の拡張とともに、最盛期には現在の「常盤橋公園」から「神田橋」付近まで増築されました。ところが、1923(大正12)年の関東大震災により、庁舎と工場が焼失してしまいます。
震災復興の区画整理が行われ、「大蔵省印刷局」があった場所には、「印刷局」のほか、「農商務省」、「逓信省」、「特許局」(現「特許庁」)などの官公庁が置かれます。


そして、1964(昭和39)年に、郵政省(現在の日本郵政)、日本電信電話公社(現在の日本電信電話)、日本放送協会及び国際電信電話(現在のKDDI)四機関共同運営の「逓信総合博物館(ていぱーく)」が設置されました。当時は日本で唯一の情報通信関係の総合博物館で、郵便・郵貯・簡保の「郵政三事業」、電話やインターネット等の「電気通信事業」について、資料の収集・保存、展示、調査研究などが行われました。
2013(平成25)年8月31日に、大手町の再開発に伴い閉館。通信文化協会が運営していた郵便関連については2014(平成26)年3月1日に「郵政博物館」の名称で、東京スカイツリータウンで再公開されています。


その後、大手町では大規模な再開発が行われ、オフィス街としてさらに発展し続けています。逓信総合博物館(ていぱーく)などの跡地には、2018(平成30)年に「大手町プレイス」が誕生し、現在では多くの超高層のオフィスビルが立ち並んでいます。
大手町プレイスは、以前この地にあった日本郵政の「手紙」やNTTの「電話」に因み、「人・街・時をつなぐ」というコンセプトのもと、歴史を受け継ぎ、人が交流できるオープンな場所、神田・日本橋との行き来を促す歩行者専用橋「竜閑さくら橋」を設置するなど、今も新たな価値観を生み出しています。

大手町プレイスの水平庇やアルミ丸柱は、逓信ビルの伝統を引き継いでいる

逓信総合博物館閉館後、「郵政博物館」として墨田区押上に移転

Access

「大手町プレイス」へのアクセス
  • 東京都千代田区大手町二丁目3番1号から2号
  • 東京メトロ大手町駅A5出口直結
  • JR東京駅丸の内北口徒歩7分